2006.08.01

40年ぶりの北アルプス登山

Shimotsuke404
念願の北アルプス、若かりし日、白馬鑓ヶ岳から唐松、五竜、鹿島槍、爺岳を縦走して扇沢に抜けたのと、白馬大雪渓を登って、白馬から雪倉をへて朝日岳まで縦走し、蓮華温泉をへて姫川温泉(糸魚川線、平岩駅近く)まで行っており、結局、後立山連峰をほとんど歩き通しています。
Chinguruma306
なんとしても、もう一度、青春の思い出がつまったこれらの山々を見たいと、2年前に栂池自然園・八方尾根のハイキングツァーに参加しました。そのときは、山水会で唐松登山を計画いただけるとは思わなかったし、単独で唐松を登る元気はなかったためです。
Ohana288
それがなんと昨年9月に計画され、登れるのかと心配しつつも、大いに期待していたのに、大型台風接近のため、中止。今年は梅雨明けの最も天気のいい7月末に実施されました。

Sekkei303
八方池、視界不良
梅雨が長引いたため、晴れるのかどうか、さんざん心配させられましたが、初日の2006/7/30の予報は快晴、しかし、八方池から唐松山頂まではほとんど山は見えず、オホーツク高気圧の影響で快晴予報がはずれたのかと、多少、がっかりしていました。2年前も曇りでしたが、一瞬の晴れ間があり、左に五竜、鹿島槍、右に白馬三山が迫力ある山容を見せてくれたのですが、こんどはそれもなく、わずかに白馬あたりの山裾が見えていた程度。きれいなお花やあちこちに現れる大きな雪渓を見つつ、黙々と登っていく。

Tsurugi323
唐松小屋で夕晴れ、剣、立山もくっきりと。
もう30分は歩かないといけないと思っていたのに、あっさりと唐松小屋が現れてやれやれでした。八方池から休み休みながら、3時間で到着。小屋で一休みしているうち、霧が晴れたりかかったりしながらも、結局、すっかり晴れ上がって、五竜、白馬はもとより、雲海の上に、剣、立山まで見えて、360度の眺望に恵まれました。夜は皓々たる三日月や天の河、織り姫までよく見えて、大感激。冬の服を着込んでいても寒かったが。

Sunrise343
唐松でのご来光
翌朝、4時50分頃、雲海の中の一点が赤くなったと思ったら、次第に浮かび上がる朝日、こんなすばらしいご来光を見たのは何十年ぶりのことだろうか? 唐松山頂では槍、穂高まで見せてくれました。
前日は登るだけ、翌日は下るだけだったので、心配していたひざもなんとか持ちこたえ、これまで苦労した早池峰、小楢山、三ツ峠よりずっと楽でした。スケール雄大な雪渓をいだく千仞の谷底や鋭く切れた岩山の様相、くっきり見えた星空やご来光と、宇宙の大きさや大自然の神秘を心に刻みました。
人間関係のごちゃごちゃ、小さい、小さい!!
富も権力も名声もなんぼのもの? ゴミのごとし(何もない者の自己満足です)。

Karamatsu355
朝焼けの唐松山頂





Shirouma379
唐松山頂から見た白馬三山
7/31、早朝 6時すぎです。山はお天気がなによりのごちそう。




Kaerazu358
不帰ノ嶮
その昔、ここも歩いたはずだが、記憶、まったくなし。


All380
少し、下って、丸山ケルンのところで、白馬三山を背景に全員写真。


Kashima376
八方池近く、 五竜、鹿島槍
この後、すぐ霧がかかって、以後晴れず。




Ike397
白馬三山側は、あっというまに霧がかかったり晴れ上がったりしていました。


仲間のHPを紹介しておきます。
7/30~31/2006はてしない眺望 唐松岳

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2006.07.04

湯の丸登山

Gerende222
6/21(水)、シルバーの登山グループ、山水会( シニアステージの17参照)の総勢15名、日帰りで小諸の北の方にある湯の丸山と烏帽子岳に登り、温泉に入って帰ってきました。

Nobori229
お天気はあやしかったですが、時折、パラパラきた程度、湯の丸登山口のスキーゲレンデではレンゲつつじが満開、高いところでは、コイワカガミの群落がみごとでした。写真は満開のレンゲつつじの中を行く一行の一部。あちこちで、6/11に終わったプッチーニの「グローリア・ミサ」の一部を口ずさんでいました。
今年は、せっかく大きな富士山が見える山になんども行きながら、ガスや黄砂に遮られ、季節的に花もなしとややさびしい山行きが続いていましたが、こんどは、実にすばらしかったです。

大胆な指導者に敬意!!Child243
5歳前後の子供の集団が登山していました。上の孫よりちょっと大きい程度、短いコンパスにはずいぶんときつい段差もある、あんな急坂と長い距離を承知の上で、引率される、指導者の大胆さに敬意を表した次第。今どき珍しいのでは? 「バーバ、ジージ、がんばってね!!」とでも言っていたかな?

All249

湯ノ丸山頂・北峰
湯ノ丸山頂(南峰)でお昼、大半はそこから直接、烏帽子に向ったのですが、我々ゆったり組の6人はパスして、湯の丸頂上からまじかに見えていた湯の丸北峰に向かいました。北峰の岩塊に立ってみたり、つコイワカガミの群落や峰桜の写真を撮ったり、山頂で仰向けに寝ねそっべったりと、のんびりと優雅に過ごしつつ、待ち合わせの鞍部への急坂にかかりました。
湯ノ丸の急坂から見た景観、時間的にわがグループではないと思いつつ、ヤッホーと叫んでいました。

Me256 Eboshi254

Renge224

山水会山行と株の関係
今年に入っての、山水会と株の関係、1/27 雪の矢倉岳、560円あがって16,480円(ソニーの10月~12月決算が予想を大きく上回るサプライズショックおため、ほとんどストップ高で指し値していたソニーが売れていました)、3/29、大菩薩変じて鶏冠山、前夜の大雪で新雪の登山となりましたが、248円あがって16,938円(4/4 投稿)、4/19、三ツ峠、下りが大変厳しかったのですが、119円あがって 17,350円、5/17 黄砂の明神岳、149円あがって16,307円と、4連騰でした(我ながら暇なことをやっているとあきれています)。
Iwakagami266
6/21の湯の丸山は、残念ながら、-4円でしたが、翌6/22日は491円あがって15135円、1/27以来の上げ幅で1日ずれたのは残念。最短で10日、悪くても、1月か半年で、17,000円まではいかないかと、都合のいいように思っていますが、7/4には、15,638円まではきました。

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2006.04.16

モンテクリスト伯その2(フランス紀行番外編)

しばらく中断していたフランス紀行、番外編から再開。
ちょうど1月前の今頃は、パリからフランフルトへ、そして成田に向かう飛行機の中にいたことになります。クロッカス、水仙、梅が咲きかけていたのが、いつしか、桜が咲き、そして散り、寒い日も多いけれど、いつのまにか、新緑の季節。帰国して、はや1月。
この間、フランス紀行のブログ、合唱の本番2つと雪山登山、6月本番のプッチーニの「グローリア・ミサ」という大曲の練習に急遽参加、毎週の練習にすでに4回参加、その事前練習にも時間をさき、これら合唱のビデオも編集、圧縮してホームページにアップする、授業は始まると、結構忙しい日々でした。
フランス行きの飛行機の中で読んでしまった「モンテクリスト伯」3巻(フランス紀行ーマルセイユ・イフ島参照)、残りの4,5巻は、帰国したら、一気に読了するだろうと思っていたのですが、なかなかそうはいかず、結局、外出時の電車の中でしか読めず、ようやく読了。これだけ面白い小説は、昔なら、そんなに悠長には構えておれず、一気読みしただろうに!!
フランス旅行中に、どのような形で復讐劇が進行するのか、いろいろ想像していたのですが、凡庸な私には、全然想定外のすさまじいばかりの波瀾万丈ぶり。あらためて、作者の筆の飛躍ぶりに感心するやら驚くやら。「モンテクリスト伯」は神の代理として、悪辣な者たちに鉄槌をくだすという筋書きらしいと読めたときは、無神論者には及びもつかぬ発想、あっけにとられたところもあります。
「太陽の王 ラムセス」同様、勧善懲悪もここまで徹底すると、興ざめするどころか、よしっ、そんな悪は徹底的にやっつけしてまえ!! となるから、血沸き肉踊るとなるのですね。

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2006.04.06

プッチーニ「グローリア・ミサ」 コンサート

Conductor102
6月11日(日)、昭島昭島市市民会館で、「オーケストラと歌う合唱団イン西東京」第8回演奏会で、プッチーニ「グローリア・ミサ」他をやるとのお知らせとお誘いを受けて、1年がかりの練習も終盤というのに、心臓で、3/25(土)の練習から参加しました。
10年も前に、一部練習したことがあり、宗教曲とは思えない、ドラマティックなメロディーがずいしょにあり、大好きな曲で、ぜひ、全曲を歌ってみたいと思っていたものです。
Soprano101
リズム感が悪いのは仕方がないのですが、楽譜も読めない私は、それなりに工夫して、昔、Logoという教育用言語で作ったプログラムに、ドレミをいれてやると、音が出るようにして、音取りを練習しています。10年以上続けています。前にやったドレミのデータが残っていたので、早速、3/21の本番が終わった後の3日間、自己特訓、、また、前に買っていた、イタリア直輸入盤と思われるCD(Philips 434 170-2)も探し出して、何度か聴いて、3/25の本番指揮者、井崎正浩然さんの3時間にわたる通し練習にのぞみ、なんとか、人の後について歌うことができるところまではいきました。舌がまわらないところも、もちろん、多々ありましたが。
バスのパートにも、勇壮で美しく、かっこいいメロディーがふんだんにまわってくるので、しっかり歌えると、ほんとうに気分のいい曲です。後2ケ月、しっかり自宅練習もして、合唱団の人たちにも、迷惑をかけないようにしたいと思っています。

なお、4/1の練習では、リーダの浜中さんと当日の指揮者、山本さんに、ホームページに出すからと了解をいただいて、練習風景の写真とビデオを撮らせていただきました。いかにかっこいい曲かを少しでもお知らせしたいのと、合唱団の皆さんには参考になればと考えて、私のホームページに、ビデオを縮小して掲載しました。
ビデオアップ3 です。
Poster542_1
プッチーニといえば、オペラ「トスカ」「ボエーム」「蝶々夫人」。「ジャンニスキッキ」の中の「私のお父さん」の美しいアリアも、結婚式でも歌われるとか。 また、この冬のトリノ・オリンピックで、がぜん、有名になった感のある、中国に題材をとった「トゥランドット」もプッチーニの最後の作品とか。
オリンピックの開幕式で、パバロッティが歌っていたのですが、少々地味に聞こえ、若くみえたので、パバロッティとは思わず、曲名も聴いていたときは分からずじまいでした。前に、オペラの舞台は見ていたのですが。衛星の録画もあったのですが、あまり面白くないと消してしまっていました。残念!!
荒川さんのフィギュア・スケートは、それを編曲したもののようですが、よくあっていましたね。彼女は話しかたも落ち着いて、余裕あり、クール・スマイルも印象的、いい人が金メダルをとったものです。
Poster2543_1
「グローリア・ミサ」は、そのプッチーニが22歳のとき、音楽院の卒業制作のもの、さすがですね。全体に若々しく、結構、敬虔な気分にもさせてくれます。写真は、4/1の練習風景、この活動をリードされている浜中さんと当日の指導者、山本さんに特にお願いして、ビデオ・カメラで撮らせていただいたものです。
ほんとうにいい曲です(練習途上ながら、 ビデオアップ3 もご参考に)。
皆さん、6/11(日午後3時開演) 東京都昭島市市民会館にぜひ、聴きにきてください。前売り3000円、当日3500円。 連絡は写真のチラシにもある、浜中勝さん(042-597-1655)、または私まで(メール mstak@nifty.com)。チラシにありますが、コンビニでも売っています。

いっしょにやっている方と、たった今、連絡がとれたのですが、ブログを作っておられるので、早速、リンクします。 「オーケストラと歌う合唱団イン西東京」のコミュニティスペース。 また、まあまあようこそ!りっちゃんちへ! もお仲間、その中の「楽の音」には、いろいろな合唱団活動の時折の感想があって、非常に面白いです。西東京インの「グロリア」についても、05/12/15と06年の1/15,1/29,2/12 と書かれています。

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2006.04.04

合唱「「水のいのち」と新雪の山登り

Start10
3/17に、フランスから帰った後、3/29には大菩薩山の近く、新雪の鶏冠山に登ったり、合唱の本番があったりと、いろいろと忙しかったです。プログは、3/11のプロヴァンスの旅が終わったところで、ちょっと中断して、合唱について......。
3/21に、指揮者が音楽の先生として活動されている東海大菅生高校合唱部の恒例のコンサートに、我々の秋川市民合唱団もゲスト出演しました。我々の団独自には、お琴と尺八の伴奏で「平城山」と「荒城の月」。高校現役の学生やOB、その他有志の方々と多数で高田三郎の「水のいのち」。久しぶりに、100人もの大合唱で、響きのいいキララホールで歌ったのは気持ちよかったです。
Narayama20060321_0001_2
いずれの曲もなんどかやっていたので、そんなに負担はなかったのですが、フランスの旅で引いてしまった風邪が、完全には直っておらず、多少、苦労しました。
私のホームページに、ビデオを縮小して掲載しました。ビデオアップ4 です。お琴と尺八伴奏「平城山」と「荒城の月」、合同演奏、大人数で歌った「水のいのち」終曲「海へ」をお聴きいただければ、幸いです。

3/26には、なんと、地元のカラオケの会の10周年行事に声がかかり、「平城山」と「100万本のバラ」で参加。こんな機会はめったにないこと、歓迎していただき、面白かったです。カラオケには、160人も参加されていて、その盛況ぶりにびっくり。

なお、雪の鶏冠山については、仲間のホームページ、 3/29/2006 大菩薩嶺変じて黒川鶏冠山に、また、ブログ 花水木の独り言3/30 があります。

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2006.04.02

フランス紀行10ーアヴィニョン

Avignonkyokol152
バスは東へ。車中、昨日から案内いただいている、プロヴァンス在住のガイドさんのリードで「アヴィニョンの橋の上で踊ろう、踊ろう」を日本語とフランス語で歌った。すっかり忘れていた歌だが、懐かしい。歌詞もメロディーも意外に単純。

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まず、対岸に、歌に歌われたサン・ベネゼ橋と法王宮殿の見えるみえるところで、写真ストップ。ご一同様の撮影もお願いした。私のホームページに出すからということで、カメラは1台限定。

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メリーゴーラウンドもある中心街で、プロヴァンス料理。残念ながら、味も中味も全然記憶なし。前日もラタイユとかブイヤベースという料理だったが、やはり忘れてしまった。名前ほどおいしくなかったことは確か。世界的に名高いフランス料理、私にはあわないと、最初から期待していなかったので、まぁ、こんなものかという感じ。
Avignonpaplais157
ローマにあるはずの法王庁が、一時的とはいえ、なぜ、アヴィニョンにあったのか?
1075年る、グレゴリウス7世が俗人の聖職者叙任を禁ずる布告をし、以来、神聖ローマ帝国皇帝と法王庁との対立が勃発していたが、12世紀に、シチリア、ナポリのノルマン王国の王女と皇帝が結婚し、フリードリッヒ2世が誕生、イタリア統一に注力し、反対する法王、自治都市との間に死闘が展開される。1250年、フリードリッヒ2世が死去しても、長年の血に血を洗う抗争も決着がつかなかったが、1268年、ダンジュー率いるフランス軍が決着をつけ、南イタリアはアンジュー家フランスの支配下に入る。1282年3月、パレルモ(シチリア)に、反乱が起こり、フランス軍を蹴散らし、抑圧に来たアンジュー家に対し、反乱軍はスペインのアラゴン家に救援を求めたので、スペインも南イタリアに入ることになり、イタリア統一は、600年後になってしまい、先に統一を達成したフランス、スペインに遅れをとることになる。(バレルモの反乱を題材に、ヴェルディはオペラ「シチリアの夕べの祈り」を作曲している。なんと、1855年、第一回パリ万博のため、パリのオペラ座からの依頼にこたえたもの、それがフランス軍が散々な目にあった事件を田偉材にするとは、さすが、ヴェルディ!!)
Avignonpalais149
1305年、フランス、ボルドー出身のクレメンス5世が新法王となり、即位後直ちに、法王庁をアヴィニョンに移した。アヴィニョンは、アンジュー家、すなわち、プロヴァンス伯の領地。法王がローマに戻ったのは、1377年、グレゴリウス11世のとき。その死後、イタリア出身の法王がローマ市民の圧力のもとで選出され、おさまらないフランスが別人を法王として選出し、教会分裂時代が40年続く。(フィレンツェの商工業者が勢力をもち、事実上の支配者となったメディチ家のもと、ルネッサンスの花を咲かせたのはこの頃。ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが活躍するのは、15世紀後半から)。
以上は、前に紹介した「物語イタリアの歴史」からの超抜粋。ここまで書いてきて、似たようなことを前にも書いたのではないかと気づく。南イタリア・シチリア島の旅のパレルモにあった。

Avignonpaplais167
さて、現在の法王宮殿が建てられたのは、1335年からのようだが、法王庁があったのは、その後42年しかない。贅を尽くしたといわれる内部は、革命のときに荒され、その後は牢獄として使われたとあって、今は見るべきものなし。
写真の、頂上に金色の像が見えるのは、隣接するノートルダム・デ・ドン教会。

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今は、半ばしかない、サン・ベネゼ橋も有料ながら、途中まで行くことができる。そこから見た法王宮殿の写真も出してみる。ツァー仲間が橋の上で踊ろうということで、足をあげて、写真を撮ろうとしていたので、あわてていれてもらう。私のカメラでもというのは、さすがに気がひけたので、写真を送っていただいた。掲載のものは、同行者の池田雅臣さんのカメラで、添乗員さんが撮影したもの。

マルセイユは特に駆け足だったが、二日間にわたる「プロヴァンスの陸と海」(ヴェルディ、椿姫の中の有名なアリア)の旅は終った。

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2006.03.30

フランス紀行9ーポン・デュ・ガール

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アルルから北上して、世界遺産、ポン・デュ・ガールに向かう。途中、西に向きを変えて、ローヌ川を渡ったところ、川の両側に、立派なお城がみえてきました。タラスコン城です。バスは徐行してくれたのですが、カメラの準備がなく、写真はやや撮り遅れた感じです。

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ポン・デュ・ガールは、アヴィニョンとニームの間にかかるガルドン川にかかる、ローマ時代の水道橋。1世紀後半、ニームの街へ水を供給する全長、50KMもの水道橋の一部。
バスをおりて、大きなレストハウスを通り抜け、公園のようなところを歩いていくと、突如として現れるさまはまったく圧巻。

Pontdugardall146
橋の上の部分は、危険ということで、今は歩けなくなっていたのでだが、そうとは知らずに、坂道をあがって、はじめてだめだと知りました。ただ、展望台があるとの標識があり、半信半疑で進んでいくと、視界が開けて、橋を上から見おろすことができました。いっしょに来た方々と、パチリ一枚。

下の写真右は上から見た水道橋、左は下から見上げたもの。
Pontdugard145_1

Pontdugardus1406

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2006.03.28

フランス紀行8ーアルル市内観光

Arlesasaichi121
アルル市内に入って、市庁舎もあるレパブリック広場へ、そして自由時間。近くの路上では朝市もやっており、衣類や魚、果物間て、賑やかでした。

Arlesdoll128
子供向けのカラフルな絵本のお店で、孫へのおみやげとして、かわいいプロヴァンス人形を買う、オルゴールつき、音楽は残念ながら「アヴィニオンの橋の上で」ではなく、シュトラウスのワルツでした。 宗教的な儀式のサントン人形のお店もあり、これは名物とのことで、写真には撮っておきました。

Cityhall125
広場には、ローマ時代にエジプトから運ばれたのか、郊外の競技場跡から掘り出されたという、オベリスクも建っていました。写真正面には16,17世紀の市庁舎、右には、中世のロマネスク様式のサン・トロフィーヌ教会。
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市内観光の最初はその教会からだったが、外観のみ。もともと、カロリンガ朝時代、7世紀の聖堂の跡に建てられ、11,12,15世紀に修復されたものという。


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続いて、もうひとつのフォーラム広場へ、ここには、ノール・ピニュというホテル前に建っているあるかのように見える銅像があり、プロヴァンス語プロヴァンスの風俗を保存しようと運動し、ノーベル文学賞をもらったという詩人、ミストラルの像だったか? ゴッホが描いた「暮れる喫茶店」があったのも、この広場でした。

Arenes137
外観ではよく分からなかったローマ時代の古代劇場を経て、世界遺産となっている円形闘技場(アレーナ)へ、
ローマのコロッセオほどの規模はないかもしれないが、やはり、保存状態がよく、いまなお、野外オペラの会場になっているボローニアのアレーナ以上かもしれません。
Arlesgoch133
現在も闘牛や野外オペラなどで使われているとのこと、写真のゴッホの絵のポスターはここにあったものか?

バスの中で、久しぶりに、ビゼーの「アルルの女」を聴かせてもらったが、ドーデの短編集「風車小屋だより」の中にあるお話をもとに作曲された曲らしい。ドーデが住んでいたフォンブィユの村もアルルの近く、北東方向にあるとのこと、昔、読んで、独特の読後感を覚えたことを懐かしく思い出していました。

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さて、アルル散策の最後は、ラマルティーヌ広場。アルルの象徴、ライオンの立派な彫刻のあるカバァル門(昔の城壁の一部)を抜けて、バスヘ。ゴッホが住んでいたというアパートもその広場にあった。

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2006.03.26

フランス紀行7ーアルルの跳ね橋

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旅の4日目、マルセイユから西北に移動し、アルルに向かいました。朝もやが晴れるに従い、申し分のない快晴、海から離れていくはずなのに、バスの右側に海のような大きな湖が見えたり、川が来たり、沼地の中の一本道を走っているようなところもあり、水位も高く、陥没しかねないようにみえるところもありました。フェニキア人、ギリシャ人に続いて、紀元前5世紀に、ケルト人がきて「アル・レアート(沼地)」と呼び、これが後にアルルとなったよし。
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まずは郊外の 旅の4日目、マルセイユから北上し、アルルに向かいました。朝から申し分のない快晴、まずはラングロワの橋(アルルの跳ね橋)へ、田園のただなかにありました。ゴッホが描いていなかったら、観光コースにはならなかったでしょう。シーズンだと、観光バスがずらりとは並ぶそうですが、釣り人がひとりいただけで、静かでした。
goch-hanebashi414
ゴッホのひまわりも、いいと思うのもありますが、大したこともないのが何億円にもなるのは不思議、損保ジャバンの東郷青児美術館に飾られているのも色が悪くて、好きではないですが、実際の跳ね橋の横にあった、絵のボスターは絵も面白そうでした。それは写真に撮りそこねたので、画集にあったものを出しますが、色も違い、跳ね橋がおりているときのもので、感じが違いました。
一行は15人と少なく、卒業旅行の女子大生もいなくて、ちょっとさびしかったですが、最初のニースの夜の食事のときから臨床心理学とニート問題とか、音楽談義など高度な会話が飛び交い、なかなかハイレベルでした。跳ね橋をバックに全員の写真を添乗員さんにお願いしました。ちょっと逆光だったのは残念。

arles-goch128
ゴッホが描いた「暮れる喫茶店」があったのは、次のアルル市内観光で紹介するフォーラム広場。今はすぐ近くに車がとまっていたり、ゴッホの絵の持つ、ロマンシィスムはみじんもなく、絵の方がいいですね。

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2006.03.24

フランス紀行6ーマルセイユ・2600年の歴史・学生のデモ

marseille113
丘からおりて、旧港周辺を一周、そこからは、イフ島はみえなかったですが、古い砦や教会が車窓から見られました。写真は丘の上から見た旧港付近。
マルセイユは、マッシリアというギリシャの植民都市が、イオニア人のフォカイアの人たちによって作られて以来、2600年の歴史をもつ輝かしい港町で、今も、フランス第二の商業都市だそうです。「世界の歴史 2 ギリシャ・ローマ」(中公新書 昭和49年)からの抜粋で、その時代のマッシリアを見てみました。
『マッシリアは、ギリシャ本土の人口増大の他、商業への関心もあって建設されたようで、南フランスからスペイン東北岸にかけて、たくさんの娘市を作ったという。ローマ時代、前220年頃、スペインのカルタゴ勢力の北上に神経質になっていたが、境界線近くで起こった内紛がもとで、第二次ポエニ戦争が起こる。このとき、カルタゴの有名な名将、ハンニバルがマッシリアの北でローヌ川を越え、アルプス越えで、イタリアにか攻め込んでいる。』
marseiille-roma109
ホテルから、中庭と思われる所に、ローマ時代の遺跡らしいものが見えたが、翌朝散歩のとき確かめると、ホテルお隣の商工会議所構内で、朝は入れず、残念。鉄柵越しの1枚、ミモザが咲き、アーモンドがもうすぐ咲きそうだった。
フランス革命のときに歌われた「ラ・マルセイエーズ」は、マルセイユからの義勇軍が、これを歌いながらパリに入ったために、そう呼ばれるようになったようです。作詩作曲は、ドイツとの国境で、つねに戦火に見舞われていたストラスブールの市長の依頼で、ルジェ・ド・リールという若き大尉だったよし。(「ラ・マルセイエーズ物語」中公新書より)
話は変わりますが、旅の最後の観光は、3/15のパリでした。前日の3/14、パリの学生が激しいデモをしていたのを現地のTVで見ていたのですが、フランスには、中国語の放送はあっても、日本語のはなく、BBCの英語放送なので、残念ながら、なにが原因なのかは不明のままでした。ガイドさんのパリ在住の日本人女性から、「26歳未満の若者は、2年間の使用期間中は理由なくいつでも解雇できる」という「初期雇用契約」(CPE)なる過酷な新就労法に反対するものであると聞きました。デモはこのあたりから始まるという説明は聞いていましたが、さらに大きなデモが予定されている16日は、早朝、空港に向かってしまったので、目撃することはなかった。 予定が狂わなかったのはよかったかもしれませんが、世界に冠たる学生運動を目撃できなかったのは、ちょっと残念な気もします。
帰国後の3/18や3/23にも、さらに大きなデモがあり、3/18には、労働者も加わって、第一回の3/7以上の大きな運動になっているそうです。世界に冠たる学生運動を目撃できなかったのは、ちょっと残念な気もします。1792年のフランス革命、1830年72月革命、1848年2月革命、1870年蜂起と,常に各国にも波及し、戦後も学生たちによる5月デモが世界の学生運動を盛り上げたことがありました。
1968年の学生運動は ときのドゴール大統領を辞任に追い込んだとのこと、私も新聞の大きな5月デモという見出しをうろ覚えに覚えています。理由も結果も忘れていましたが。
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写真は、パリのコンコルド広場。フランス革命当時、ギロチンがおかれ、ルイ16世、マリーアントワネット、革命派の政治家も処刑されたコンコルド広場、エジプトのルクソール神殿にあった、ラムセス2世が作ったオベリスクの一本が、エジプトから運ぶのに、いかに苦労したかをか示す金ぴかの絵入りで建っています。ナポレオンのエジプト遠征のとき、持ち帰らせたよし。

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